哀詩愛 本編B-2(宿屋A)

「この扉の向こうにあの人がいるのね。」

「ああ、情報が正しければな。」

クリスの顔が緊張によりこわばっており身体は小刻みに震えている。
愛し、そして憎んでいる男が壁一枚を挟んですぐそこにいるのだ。
複雑な思いをはせているクリスはイシュタルの声に現実に引き戻された。

「乗り込むぞ、いいか。」

反射的に頷く。
もうここまで来たら行くしかない。
迷いを振り払うようにもう一度頷いた。

イシュタルはシルクの顔を見つめた。
シルクはただイシュタルを見つめ返す。
二人にはこれで十分である。
イシュタルは静かにノブに手をかけると一気に扉を開き部屋に飛び込んだ。

豪華な装飾に彩られている部屋の中央に大きなベッドがあり男女二人がいた。
男はやはり吟遊詩人である。
女の方は四十位の熟女であり、身につけている装飾品より良いところの婦人と思われる。
「な、何ですか、あなた達は。早く出て行きなさい。」

婦人は表面上は怒っているが顔には動揺の色かありありと浮かんでいる。
何かやましいことがあるのであろう。

「あんたには用事はない。お隣の吟遊詩人にちょっと話があるんだ。」

吟遊詩人は驚いた様子もなく何喰わぬ顔をしてこちらを見ている。

「ふふふ、吟遊詩人だって、そんな人はいないわよ。この人は・・・」

婦人の言葉は最後まで続かなかった。
顔が青ざめている。
クリスが剣を抜くのが目に入ったのだ。
クリスの表情からただ事ではない事は婦人にも察することが出来る。

「ま、待って。わ、私は関係ないわ。出て行くから、お、お願い、助けて。」

そういうや否や散らばっている自分の服をかき集めて下着姿で一目散に部屋から飛び出していった。

残された吟遊詩人の前にクリスは立っている。剣を握りしめて。

「探したわ、よくもだましたわね。何が吟遊詩人よ。」

落ちついた調子でいているが感情を押し殺しているのが良く分かる。
平然を装いながら吟遊詩人を見る。
吟遊詩人は衣服の乱れを直しながらわきに置いてあったリュートを抱えると窓の方へと歩いた。

「何処へ行く。逃げるつもり!」

クリスの声を無視するかのように窓を開きこちらを向いた。

「私は騙してはいませんよ。見てごらん、今宵は満月。
 月と貴方の美しさを讃える詩を一曲。」


ララ・・銀の雫の降る夜に恋する乙女は・・ラララ・・・


「やめろ。真似事はもうたくさんよ。」

リュートに乗った美しい声はクリスの声によって遮られた。

「お前が盗人なのは分かっているんだ。盗んだ物を返せ。」

「何も分かってないお嬢さんだ。
 私が盗人だというのですか。
 それは違う。
 私が貴方から盗んだものは貴方の心だけですよ。
 身体は大人になったのに心はまだのようですに。」

自分で女にしておきながらとぼけたことを吟遊詩人は言っている。
だがクリスはそれを無視できるほど大人ではない。
悔しさで目が潤み、涙が流れないようにするのが精いっぱいだ。

「相手にするな。」

イシュタルが割って入ってきた。

「どうせさっきの婦人が人を呼んでくるまで時間を稼いでいるだけだ。」

「心配しなくてもいい。」

吟遊詩人はひと事のようにさらりといった。

「さっきの婦人は、この街の貴族の妻で浮気をしていたのさ。
 人を呼ぶようなことをすれば自分の首を絞めることになる。
 それに私と婦人の関係は一夜限りのものですよ。
 そこのお嬢さんと同じようにね。」

その言葉にクリスの身体は震えた。
吟遊詩人はそんなクリスの反応を楽しんでいるようだ。

「貴様、年頃の娘をからかってそんなに楽しいのか?このゲス野郎。」

それに見かねたイシュタルは怒りを込めて叫んだ。
それに対し吟遊詩人はゆっくりとイシュタルの方を向きゆっくりと口を開いた。

「確かに私はその通りの人間さ。
 お金さえもらえば誰だって抱く。
 女に満足を与えることが私の仕事なのだから。
 醜いものでも割り切って抱かなきゃならないんだよ。
 先ほどの婦人を見ましたか。
 四十を過ぎた小太りの醜い女を。
 嫌だね、だんなに相手にされないからといって私に抱かれようなんて。
 お金をもらってもあんな女は抱きたくないが仕事には決して手を抜かないのが私の主義 でして。
 丁度いいときに邪魔に入ってくれて感謝してますよ。
 金は先払いですから何もせずに報酬が貰えましたよ。。
 これでもこの世界ではそれなりに名は通っているんで、かなりの額を払わなければ私に は抱いてもらえないのだよ。
 そんな金を出せるのはさっきの女の様な奴等だけさ。
 プライベートでは女は抱かないから、おかげで最近じゃろくな女を抱いちゃいない。
 そこのお嬢さんは久々の若い女だったよ。
 もっとも私の相手にはまだまだ役不足だったけどな。」

先ほどとは雰囲気が全くと言っていいほど変わっている。
先ほどまでは吟遊詩人といえばそれで通るような感じであったがそんなものはもうみじんも残っていない。

「仕事でしか女を抱かないのならなぜクリスを・・・」

「ちゃんとした仕事だぜ。
 さる方からかなりの額をもらっている。
 小娘一人にあれだけの報酬とは割りのいい仕事だったよ。
 そんなうまい話がまたあればその時もよろしく頼みたいね。」

吟遊詩人を名乗っていた男はクリスの顔を見ながらにやついている。

「さ、さるお方って、だ、誰なの。」

クリスは弱々しい声で尋ねる。
目からは大粒の涙が止めどもなく流れている。

「それはいえないな。
 商売柄、それを言うことは信用問題だからね。
 まあ、足長おじさんと言ったところか。
 感謝しているのなら伝えておいてやるよ。
 私のようなテクニシャンに男を教えてもらえるなんてよろこばなきゃ罰が当たるぜ。
 初めてだから多少は痛かったかもしれないがその何倍も喜ばしてやったろ。
 大きな声を出してよろこんでいたじゃねーか。」

鼻で笑いながら話しているのをクリスはうつむいたまま黙って聞いている。

「貴様、もうゆるさん。」

あまりにも無慈悲な言葉にイシュタルの忍耐は臨界点を超えてしまっている。
イシュタルは今にも飛びかかろうとしていたがクリスの叫びでその動きをやめた。

「やめて・・・
 貴方は私に愛しているって言ってくれたのは嘘だったの?
 あの優しさは偽りだったの?
 答えて。」

それは嘘でも良かった。
もう一度だまされたっていい。
最後の望みにすがるようにクリスは答えを求める。
だがそれはかなえられなかった。

「偽りじゃないさ、あの夜はちゃんと愛していた。
 安心しな、どんなときも仕事は手を抜かない。
 抱いている女性を必ず愛しているよ。
 それとも一夜限りの愛じゃ不満かい。」

氷のような言葉がクリスの心を傷つけ火傷を負わせる。
傷だらけのクリスは激しく首を振り、叫んだ。

「だまされた私が馬鹿だったのよ。
 でも私、本気だった。
 初めて男の人を好きになったのに。
 私が馬鹿なのはわかっている。
 馬鹿だから貴方を愛している。
 馬鹿だから貴方を憎んでいる。
 私、やっぱり貴方を許せない。」

そう言うと激しい感情を抱いている男に向かって剣を向けた。

「私にはこんな解決のしかたしかないの。」

クリスはあきらめきった顔で吟遊詩人を見つめている。
もう自分の気持ちは全てさらけ出している。
そしてそれをどうすることもできないことも知っている。

「剣を離しなさい。
 君には私をさせない。
 君は私を愛しているんだから。」

吟遊詩人は元の優しい顔を見せ、全く逃げる様子もなく平然と立っている。
その考えに何の疑いも持っていないかのように。

「いや、いや、いやーーーー」

クリスは絶叫しながら男の元へ走って行く。

イシュタルのやめろという声は届かなかった。



クリスの手から剣が離れる。
硬直した空気の中を
 カラーン
という音が響く。
少女の目には愛した男の姿しか写っていない。
男のカッと見開いた目は少女を見つめている。
少なくともクリスにはそう見えている。
仰向けになった男の胸から流れる血は部屋の赤い絨毯を黒く染めている。
クリスはそのそばで呆然と立っている。

「どうして・・・、なぜ?」

吟遊詩人はクリスが振り落とす剣に対して一歩も動かなかった。
黙ってそれを受けた。
本当にクリスが自分を切ることが出来ないと信じていたのか。
もしかしたら私はその信頼を裏切ったのか。

「わ、わ、わた・・し、いや、いやぁ・・だよ。こんな・・・」

クリスはそのまま部屋を飛び出した。
あまりのことにシルクはイシュタルの腕にしがみついている。
イシュタルはシルクを落ちつかせるためにの頭を撫でてやる。
だが意識は全て疑問に向けられていた。

「なぜ、逃げなかったんだ?
 本当に切らないと信じていたのか?。」
哀詩愛 本編B-2(宿屋B)

確かにクリスを止めようとした。だが止めれなくとも吟遊詩人は逃げる。そうイシュタルは思っていた。
だがそうはならなかった。吟遊詩人を過小評価していたのだろうか。
だが吟遊詩人の身体を調べると不審な点があった。
クリスに斬られた傷が浅すぎるのだ。
死に至るほどの深手とは思えない、しかも即死とは。
さらに調べると色々なものが出てくる。
指輪、宝石、さらにはペンダントなど。
クリスの捜し物がなんだか分からない。
その全てをイシュタルは自分の上着に詰め込んだ。
さらに調べをつづけ吟遊詩人を抱き抱えると背中に回した手に堅いものが当たった。
慌ててみてみるとそこにはダーツの矢のようなものが深々と刺さっていた。
それは見事に急所に当たっておりしかも先を見ると念入りに毒が塗ってあった。

「こいつは逃げなかったのではなく、逃げれなかったのか。
 しかもクリスが殺したのではなかったのだ。」

本当に逃げるつもりが無かったのかもしれない。
吟遊詩人に対する偏見かもしれないが相は考えられなかった。
それに真実が分からない以上クリスにとってもその方がいいのだ。
若い娘が背負って行くには重すぎるものなのだがら多少は死んだ男に持ってもらってもはずだ。

「それよりもクリスを探さなければ。」

あのままの精神状態では何をしでかすか分からない。
最悪の場合、自らの命を絶つことさえ考えられる。

「シルク、クリスを追うぞ。」

宿屋を出てみたがどちらへ行ったかも分からない。
当たりを見渡してもクリスの姿は見あたらなかった。
まもなく吟遊詩人の死体も発見されるだろう。
当てもなくこの当たりを彷徨くのは危険である。

「いちど、俺達の宿に戻ろう。
 もしかしたらクリスも戻っているかもしれない。」

そうあることを願いながら二人は宿へ向かった。
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